三國清三の妻・久美子は離婚したのか?噂の真相と娘・珠杏の現在

三國清三の妻・久美子は離婚したのか?噂の真相と娘・珠杏の現在

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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三國清三さんの妻について気になっている方は多いのではないでしょうか。

フランス料理界の巨匠として知られる三國清三さんを長年支えてきたのが、妻の久美子さんです。

医者の娘として育ったお嬢様を一目で気に入り、1985年に結婚。名店「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムとして25年間店を支え続け、現在も料理研究家として活躍しています。

離婚の噂はなぜ出たのか、そして一人娘・珠杏さんの現在はどうなっているのか、詳しく掘り下げていきます。

記事のポイント

①:妻・久美子さんは医者の娘で料理研究家

②:結婚は1985年、一目惚れの馴れ初め

③:離婚説はデマで現在も夫婦関係は続いている

④:娘・珠杏はウィーン大学院の心理学研究者

目次

三國清三の妻・久美子との結婚と馴れ初め

  • 妻・三國久美子のプロフィールと人物像
  • 三國清三と妻の一目惚れの馴れ初め
  • 久美子が25年間マダムとして果たした役割
  • 離婚説はなぜ生まれた?噂の背景と真相
  • 三國清三のプロフィールと輝かしい経歴

妻・三國久美子のプロフィールと人物像

三國清三さんの妻は、三國久美子(みくに くみこ)さんです。

三國清三さんより7歳年下の生まれで、父親が医師という裕福な家庭で育ったお嬢様として知られています。

以下の表で久美子さんの基本情報を整理してみます。

項目 詳細
名前 三國久美子(みくに くみこ)
推定生年 1961年〜1962年頃(推定)
2026年03月31日現在の年齢 約63歳(推定)
出身 非公表
父親の職業 医師
職業 料理研究家・フードコンサルタント
結婚年 1985年
子供 娘1人(三國珠杏)

久美子さんの生い立ちと家庭環境

久美子さんは父親が医師という職業柄、家庭は経済的に恵まれた環境であったと考えられます。

一方の三國清三さんは北海道の増毛町という漁師町出身で、15歳から北海道グランドホテルの厨房に飛び込んだ叩き上げの苦労人です。

対照的な生い立ちを持つ二人が結婚したことで、三國家には富裕層出身のマダムとしての品格と、一代で築き上げたシェフとしての気概が共存することになりました。

久美子さんの育ちの良さは、後に「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムとしての立居振る舞いにも存分に発揮されることになります。

料理研究家・フードコンサルタントとしての顔

現在の久美子さんは、料理研究家・フードコンサルタントとして独自のキャリアを歩んでいます。

「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムとして25年間積み重ねたヨーロッパ家庭料理の研究と、フードサービスへの深い理解を活かし、料理教室を主宰するなどの活動を展開しています。

夫・三國清三さんのフレンチの世界を間近で学びながら、自身の食のスタイルを確立させてきた女性です。

夫の影に隠れているように見えて、実は久美子さん自身も食の世界で確固たるポジションを持つ料理のプロフェッショナルなのです。

外見的な特徴と三國清三さんが惚れた理由

三國清三さんが久美子さんに引かれた理由として、「背が高く立居振る舞いが堂々としている」という点が伝わっています。

三國清三さんはフランス料理の格式高いレストランを経営するにあたって、料理だけでなくサービスの質や場の雰囲気にも強いこだわりを持っていました。

そのシェフとしての審美眼が、久美子さんをひと目で「このレストランのマダムにふさわしい」と判断させたのでしょう。

ここ、気になりますよね。フランス料理の巨匠が「一目惚れ」した相手というのですから、相当の存在感と気品の持ち主だったのだと思います。

三國清三と妻の一目惚れの馴れ初め

三國清三さんと久美子さんの馴れ初めの詳細は公表されていません。

ただ、三國清三さんが久美子さんを一目見て気に入り、結婚を決意したという点は複数のメディアで伝えられています。

「オテル・ドゥ・ミクニ」開業と同じ年の結婚

二人が結婚したのは1985年のことでした。

この1985年という年は、三國清三さんが東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業した年でもあります。

レストランの開業という料理人人生最大の節目と、結婚という人生の転機が同じ年に重なったわけです。

三國清三さんにとって1985年は、料理人としても、一人の男としても、新たなステージへと踏み出した特別な年だったのでしょう。

「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業するにあたって、三國清三さんは店を支えるパートナーの必要性を強く感じていたと考えられます。

そのタイミングで久美子さんと出会い、一目でマダムの器だと直感したことが、スピード感ある結婚につながったのかもしれません。

決め手は「レストランのマダムにふさわしい」という直感

三國清三さんが久美子さんを選んだ決め手として伝えられているのが、「身長が高く、立居振る舞いが堂々としている」という点と、「育ちの良さ」でした。

フランス料理の一流レストランにとって、マダムは料理と並ぶほど重要な存在です。

ゲストを迎える際の所作、会話の品格、場の空気を作る能力——これらはすべて、育ちや経験に裏打ちされたものです。

医師の娘として品格をもって育ってきた久美子さんは、まさにその条件を体現していたわけですね。

7歳という年の差について

三國清三さんと久美子さんは7歳差の夫婦です。

三國清三さんが1954年生まれであるため、久美子さんは1961年前後の生まれと推定されます。

三國清三さんが「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業した30歳前後のころ、久美子さんは20代前半という若さだったことになります。

年上の実力あるシェフと、若く品格ある令嬢の組み合わせ。フランス料理の格式高いレストランには、ぴったりのカップルだったと言えるでしょう。

結婚生活の始まりとレストランの歩み

結婚した翌年1986年から、久美子さんは「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムとして本格的に活動を始めます。

夫婦で一緒に店を作り上げていく——それが三國家の結婚生活の始まりでもありました。

一目惚れから始まった恋愛が、結果として37年以上続く強固な夫婦関係へと発展していったのです。

久美子が25年間マダムとして果たした役割

久美子さんの功績として特筆すべきは、「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムとして積み重ねた25年間の実績です。

1986年から2011年まで、25年間にわたってサービストレーニングとヨーロッパ家庭料理の研究を担当しました。

マダムとしての具体的な仕事内容

フランス料理の一流レストランにおいて、マダムの役割は単なる受付や接客にとどまりません。

「オテル・ドゥ・ミクニ」における久美子さんの主な役割は以下の通りです。

  • サービススタッフへのトレーニングと指導
  • ヨーロッパ家庭料理の研究と実践
  • 店全体のホスピタリティ管理
  • 新館開設時の内装総合プロデュース

中でも注目したいのが、「オテル・ドゥ・ミクニ」の新館開設時に内装の総合プロデュースを手がけたという点です。

インテリアデザインから空間演出まで、レストランの「顔」となる新館の内装を一手に引き受けたことは、久美子さんの美的センスと能力の高さを物語っています。

「日本一予約の取れないフレンチ」を支えた存在

「オテル・ドゥ・ミクニ」は最盛期、「日本一予約の取れないフレンチ」と称されるほどの人気店でした。

そのような格式高いレストランのマダムとして、久美子さんは常にゲストを迎える第一線に立ち続けてきたわけです。

シェフとして厨房に立つ三國清三さんが「料理」で世界観を表現するなら、マダムとしての久美子さんは「もてなし」でその世界観を完成させていたと言えるでしょう。

三國清三さんの料理が評価されるだけでなく、店全体の雰囲気や接客の質が高く保たれてきた背景には、久美子さんの25年間の献身があります。

2011年以降の活動と独立

2011年にマダム業を退いた後、久美子さんは料理研究家・フードコンサルタントとして独立した活動へシフトしています。

25年間のマダム経験で培ったヨーロッパ料理への深い知識と、一流レストランで磨いた食へのこだわりを活かし、料理教室の主宰やコンサルティング業務に取り組んでいます。

夫・三國清三さんとは異なる形で食の世界と関わりながら、現在も料理のプロとして活動を続けているわけです。

25年という長い月日は、単なる仕事の継続ではなく、夫婦としての共同作業の歴史でもありました。

離婚説はなぜ生まれた?噂の背景と真相

インターネットで「三國清三」と検索すると、「離婚」というキーワードが一緒に表示されることがあります。

結論から言うと、三國清三さんと久美子さんは離婚していません

離婚説が生まれた理由①:検索リンクのつながり

なぜ離婚という噂が広まったのかというと、理由のひとつとして考えられるのが検索結果でのリンクの結びつきです。

人気シェフである三國清三さんはさまざまなメディアのインタビューに登場しています。

そのインタビュー記事に無関係な他人の離婚記事が関連リンクとして表示されることがあり、まるで三國清三さんが離婚したかのような印象が生まれてしまうことがあるのです。

インターネットのアルゴリズムや関連記事の自動表示によって、事実とは異なる印象が広まってしまうのは、有名人の噂話ではよくあるケースです。

離婚説が生まれた理由②:YouTubeに妻が登場しない

もうひとつの理由として、三國清三さんのYouTubeチャンネルに久美子さんが登場しないという点が挙げられます。

三國清三さんはYouTubeチャンネルを運営しており、娘の珠杏さんはそこに登場することがあります。

しかし久美子さんの姿はチャンネルに登場しないため、「なぜ妻が出てこないのか」「もしかして離婚したのでは?」という憶測が生まれたとされています。

ただ、YouTubeに出ないこと自体は離婚の根拠にはなりません。

久美子さんはもともとメディアへの露出を控え、料理研究家としての活動に専念するスタイルを取っており、夫の動画チャンネルに出演しないのは単にプライベートを大切にしているからでしょう。

離婚説の結論:あくまでデマ

これらの理由から離婚説が広まりましたが、現在も三國清三さんと久美子さんは夫婦関係を続けています。

久美子さんはマダム業を退いた後も料理研究家・フードコンサルタントとして活動中であり、三國清三さんの新レストラン「三國」の開業後も変わらず夫婦として歩み続けています。

離婚説については「デマ」と断言してよい内容です。

あなたも同じような疑問を持っていたのではないでしょうか。これで安心できましたよね。

三國清三のプロフィールと輝かしい経歴

 

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妻・久美子さんの人物像をより深く理解するためにも、夫・三國清三さんがどのような人物かを整理しておきます。

以下の表で三國清三さんの基本情報を確認してみましょう。

項目 詳細
名前 三國清三(みくに きよみ)
生年月日 1954年1月14日
2026年03月31日現在の年齢 72歳
出身 北海道増毛町
職業 フランス料理シェフ
代表店 オテル・ドゥ・ミクニ(1985〜2022)・三國(2024〜)
主な受賞 レジオンドヌール勲章(フランス国家勲章)
三國久美子
子供 娘1人(三國珠杏)

北海道の漁師町から料理人の道へ

三國清三さんは1954年1月14日、北海道増毛町に生まれました。

増毛町は日本海に面した小さな漁師町で、決して豊かとは言えない環境でした。

15歳のときに北海道グランドホテルの厨房に入ったのが料理人としての第一歩で、そこから三國清三さんの波乱に富んだ料理人人生が始まります。

その後、23歳のときに在スイス日本大使館の料理人として採用され、ヨーロッパへ渡ります。

スイス・ジュネーブのパレスホテルで修行を積み、さらにフランス料理界の巨匠ポール・ボキューズのもとで研鑽を重ね、フランス料理の真髄を体に刻み込みました。

「オテル・ドゥ・ミクニ」開業と独自スタイルの確立

ヨーロッパでの修行を終えた三國清三さんは帰国し、1985年に東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開業します。

日本の食材が持つ滋味深さをフランス料理の技法で表現する「ジャポニゼ」という独自スタイルを確立し、国内外の美食家たちから絶大な支持を集めました。

最盛期には「日本一予約の取れないフレンチ」と呼ばれるほどの人気を誇り、2022年の閉店まで37年間その名声を守り続けました。

フランス国家勲章レジオンドヌールの受章

三國清三さんの最大の勲章といえるのが、フランスの国家勲章「レジオンドヌール」の受章です。

ナポレオンが創設したこの勲章は200年の歴史を持ちますが、日本の料理人として受章したのは三國清三さんただ一人とされています。

日本人シェフとして初めてフランスの最高勲章を手にしたこの事実は、三國清三さんの料理が世界水準で評価されていることの何よりの証でしょう。

漁師町で育ち、15歳から厨房に立った叩き上げのシェフが、フランス国家から最高の栄誉を与えられる——その物語は日本の料理史に輝く一ページです。

三國清三の妻が育んだ家族と現在

  • 一人娘・三國珠杏のプロフィールと学歴
  • 尾上右近と幼稚園から高校まで同級生だった事実
  • 慶應義塾大学からウィーン大学院での心理学研究
  • 2006年暴力騒動と書類送検の経緯
  • 「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店と新店「三國」への決意
  • 三國清三の家族の現在

一人娘・三國珠杏のプロフィールと学歴

三國清三さんと妻・久美子さんの間には、一人娘がいます。

その名は三國珠杏(みくに じゃん)さんです。

以下の表で珠杏さんの基本情報を整理してみます。

項目 詳細
名前 三國珠杏(みくに じゃん)
推定生年 1992年〜1993年頃
2026年03月31日現在の年齢 約33歳(推定)
名前の由来 仏料理人ジャン・トロワグロ
出身校 成城学園(幼稚園〜高校)
大学 慶應義塾大学
大学院 慶應義塾大学大学院→ウィーン大学大学院
現職 ウィーン大学 心理学研究員

「珠杏(じゃん)」という名前の由来

「珠杏」と書いて「じゅあん」ではなく「じゃん」と読ませるこの名前には、特別な由来があります。

三國清三さんが敬愛してやまない伝説的なフランス料理人、ジャン・トロワグロさんの名前から取ったのです。

ジャン・トロワグロさんは、フランスで57年以上三つ星を維持し続けてきた名門一族のシェフで、三國清三さんが修行時代から深く敬意を抱いてきた存在です。

娘の名前に憧れのシェフの名を付けるという行為は、三國清三さんにとって料理がいかに人生の中心にあるかを物語っています。

成城学園での学生時代

珠杏さんは幼稚園から高校まで、東京の成城学園に通っていました。

成城学園は東京都世田谷区に位置する名門私立校で、幼稚園から大学まで一貫した教育体制が整っています。

高校の偏差値は60台後半と高く、芸能界や文化人の子弟も多く通う学校として知られています。

医師の娘として裕福な家庭で育った母親・久美子さんの教育方針が、こうした名門校への進学に反映されているのかもしれません。

珠杏さんの生い立ちと環境

1992年から1993年頃に生まれた珠杏さんは、「オテル・ドゥ・ミクニ」が絶頂期を迎えていた時代に育ちました。

日本一のフレンチシェフを父に持ち、料理研究家の母のもとで育った環境は、食への感性を磨く上でこれ以上ない恵まれた環境だったと言えるでしょう。

ただ、珠杏さん自身は父親の料理の世界ではなく、心理学という全く異なる分野を選択しています。

これはむしろ、料理一家に育ちながらも独自の道を切り拓いた珠杏さんの知的な個性の表れとも言えますよね。

尾上右近と幼稚園から高校まで同級生だった事実

珠杏さんの話題で特に注目を集めるのが、歌舞伎俳優の尾上右近さんと幼稚園から成城学園高校まで、ずっと同級生だったというエピソードです。

尾上右近さんとはどんな人物か

尾上右近さんは、歌舞伎界の名門・寺嶋家に生まれた若手歌舞伎俳優です。

祖父に昭和の大スター・鶴田浩二さんを持ち、父は歌舞伎役者という芸能一家に育ちました。

歌舞伎の世界だけでなく、テレビドラマや音楽活動など幅広いジャンルで活躍しており、現代的な感覚を持つ若手実力派として注目されています。

そんな尾上右近さんは歌舞伎役者の家に育ちながらも一般の学校に通い、成城学園で幼稚園から高校まで学んでいたとされています。

幼稚園から高校まで13年間の同級生

珠杏さんと尾上右近さんが幼稚園から高校まで同じ学校に通っていたとすれば、少なくとも13年間という長い時間を同じ環境で過ごしたことになります。

幼い頃からの付き合いがあるということは、単なる知り合いというレベルをはるかに超えた関係だったと考えられます。

フランス料理の巨匠の娘と歌舞伎界の若きスターが幼稚園からの同級生——なんとも豪華な組み合わせですよねw

成城学園という名門校の特徴

成城学園という名門校には、さまざまな分野のエリートや文化人の子弟が集まります。

芸能界・経済界・文化界の著名人の子弟が多く通う学校として知られており、珠杏さんにとっても多様な人脈と刺激に満ちた環境だったことは間違いありません。

尾上右近さんとの同級生エピソードは、そうした成城学園の環境を象徴するひとつの逸話と言えるでしょう。

親同士の交流の可能性

珠杏さんと尾上右近さんが長年の同級生であれば、三國清三さんと尾上右近さんの親御さんとの接点もあった可能性があります。

日本の食文化をリードするフレンチシェフと、歌舞伎という伝統芸能の世界——異なるジャンルのプロフェッショナルの家族同士が同じ学校に通っていたというのも、成城学園ならではのエピソードかもしれません。

少しロマンがある話ですよね。

慶應義塾大学からウィーン大学院での心理学研究

高校卒業後、珠杏さんは慶應義塾大学に進学しました。

慶應義塾大学での学び

慶應義塾大学は日本を代表する難関私立大学のひとつで、偏差値70前後の学部も多く、国内トップクラスの学力が求められます。

学部の詳細については公表されていませんが、その後の大学院での専攻が心理学であることから、学部時代も心理学や関連分野を学んでいた可能性があります。

成城学園から慶應義塾大学というエリート街道をまっすぐ歩んできた珠杏さんは、フランス料理の巨匠の娘でありながら、食の世界ではなく心理学という全く異なる分野に進んだことが興味深いポイントです。

慶應義塾大学院からウィーン大学院へ

慶應義塾大学卒業後は同大学院に進学し、さらに2019年からはオーストリアのウィーン大学大学院にも在籍するというキャリアを歩んでいます。

ウィーン大学はオーストリア最古の大学であり、ヨーロッパを代表する名門研究機関のひとつです。

心理学の研究において、ウィーンという地は特別な意味を持ちます。精神分析学の父・ジークムント・フロイトが活躍したのもウィーンであり、心理学の学術的な蓄積においてウィーンは世界有数の都市です。

心理学を研究する場としてウィーンを選んだことは、珠杏さんの学術的な探究心の深さを示しています。

ウィーン大学の心理学研究員として活躍

現在の珠杏さんは、ウィーン大学で心理学の研究員として活動しています。

父親の三國清三さんがフランスをベースにした料理の世界でキャリアを築いたように、珠杏さんもヨーロッパ・オーストリアを拠点に学術の世界でキャリアを積んでいるわけです。

親子ともにヨーロッパとの縁が深い三國家。その国際的な感覚は珠杏さんの名前の由来にも表れていましたが、生き方そのものにも色濃く反映されているようです。

フランス料理の巨匠の娘が心理学研究者という道を選んだことは、単なる「料理人の娘」というイメージを超えた、独立した知識人としての歩みを示しています。

2006年暴力騒動と書類送検の経緯

三國清三さんに関して欠かせない話題のひとつが、2006年に起きた暴力騒動です。

この事件は当時大きく報道され、三國清三さんのイメージに影を落とすものでした。

事件の内容と経緯

2006年、三國清三さんは「オテル・ドゥ・ミクニ」の男性社員に対して、電話の受話器を投げつけ、さらに顔を殴るという暴力行為に及びました。

その理由として伝えられているのが、「仕事が遅いことに腹を立てて」というものでした。

被害を受けた男性社員はその日のうちに警視庁四谷署に被害届を提出。三國清三さんは傷害容疑で書類送検されることになりました。

一流シェフとしての完璧主義と、スタッフへの高い要求水準が衝突した結果として起きた出来事とも見られますが、暴力行為自体は当然正当化されるものではありません。

事件後の状況

書類送検という重大な事態となったこの事件ですが、三國清三さんはその後も「オテル・ドゥ・ミクニ」の経営を続けました。

長年にわたって厨房に立ち、厳しい現場を率いてきた三國清三さんの気性の激しさを示すエピソードとして記憶されている一方、この事件以降の三國清三さんは自身の料理哲学や姿勢を改めて見直す機会を持ったとも伝えられています。

最盛期のレストランを支えながら、このような事件も経験したことが、後の「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店と新たな挑戦への決意に何らかの影響を与えた可能性もあります。

閉店との関係性は?

なお、2006年の暴力騒動と2022年の「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店は、まったく関係がありません。

閉店の理由は三國清三さん自身が長年温めてきた夢を実現するための前向きな決断によるものです。

事件から16年が経過した2022年まで「オテル・ドゥ・ミクニ」が営業を続けた事実が、閉店理由と暴力事件が無関係であることを明確に示しています。

この点については、インターネット上でも混同されやすいので注意が必要ですね。

「オテル・ドゥ・ミクニ」閉店と新店「三國」への決意

2022年12月28日、三國清三さんは「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店しました。

閉店発表の翌日だけで700件を超える予約問い合わせが殺到したというほどの人気店が、37年の歴史に幕を下ろしたのです。

37年間の「オテル・ドゥ・ミクニ」の歴史

1985年に開業した「オテル・ドゥ・ミクニ」は、37年間にわたって日本フレンチ界の頂点に君臨し続けました。

80席の豪華な空間で、一流シェフとして数えきれないほどのゲストをもてなし、多くの料理人を育ててきた名店でした。

その歴史の裏には、妻・久美子さんが25年間マダムとして守り続けてきた献身と、家族全員の努力がありました。

閉店の本当の理由

「なぜ人気絶頂の名店を閉めたのか」という問いに対して、三國清三さんは自身の著書「三流シェフ」の中でこのように述べています。

「料理人として心の底に温めていた夢を実現するために僕は閉店を決めたのだ」

その夢とは、カウンター8席のみの小さなレストランで自ら一人で料理を振る舞うというものでした。

大きな厨房でスタッフを率いてビジネスとして成功を収めるだけでなく、料理人として純粋に目の前のお客さんのために自分の手で料理をしたいという、シェフとしての原点回帰の願いがあったのです。

コロナ禍が背中を押した決断

この夢の実現を後押ししたのがコロナ禍でした。

コロナ禍で「オテル・ドゥ・ミクニ」を2ヶ月間閉めざるを得なかった経験から、三國清三さんは「来世なんてあるかどうかわからないんだからやりたいことがあるなら、今、挑戦しないとね」という考えに変わっていったのだといいます。

「あと3年で40年。少々きりの良くない数字になるのには理由がある」と著書に記したように、37年という区切りに意味を持たせた閉店でした。

新レストラン「三國」の開業

2024年秋、70歳となる年に「オテル・ドゥ・ミクニ」の跡地に、新たなレストラン「三國」をオープンしました。

カウンター8席のみで三國清三さんが一人で切り盛りする夢のレストランが、ついに実現したのです。

2025年11月にはNHK「情熱大陸」でも取り上げられ、71歳でなお前に進む三國清三さんの姿が多くの視聴者の心を打ちました。

「燃え尽きたと思えるその日まで、僕は料理人でありつづけたい」という言葉は、すべてを経験してきた巨匠の純粋な料理への愛情を表しています。

三國清三の家族の現在

現在の三國清三家の状況について、分かっている情報を整理します。

三國清三さんは現在も妻・久美子さんと夫婦関係を続けており、離婚の事実はありません

妻・久美子さんの現在

久美子さんは現在も料理研究家・フードコンサルタントとして活動しています。

「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダム時代に培ったヨーロッパ料理の知識と食のコンサルティング経験を活かし、独自のフードビジネスを展開しています。

夫・三國清三さんが新レストラン「三國」で新たな挑戦を続ける中、久美子さんも料理研究家としての活動を通じて食の世界に関わり続けています。

メディアへの露出は少ないものの、夫婦それぞれが自分の得意な形で食文化に貢献している姿は、長年連れ添った夫婦のひとつの理想形とも言えるでしょう。

娘・珠杏さんの現在

娘の珠杏さんは現在もオーストリア・ウィーンに拠点を置き、ウィーン大学で心理学の研究員として活動中です。

2019年にウィーン大学大学院に在籍して以降、研究の道を歩み続けており、フランス料理の巨匠の娘としてではなく、心理学者としての独自のキャリアを積み上げています。

父・三國清三さんがヨーロッパで修行した経験が、娘・珠杏さんのヨーロッパでの学術活動として形を変えて受け継がれているとも言えるかもしれません。

三國清三さんの現在

三國清三さんは現在も意欲的に料理人としての活動を続けています。

2024年秋にオープンした新レストラン「三國」では、8席のカウンター越しにゲストと向き合い、自らの手で料理を提供するという長年の夢を実現しています。

2025年11月に放送された「情熱大陸」では、フランスに赴いて食材探訪を続けたり、盟友ミッシェル・トロワグロとの再会を果たしたりする姿が紹介され、71歳でなお前進し続ける料理人としての覚悟が伝わりました。

フランス料理の巨匠としての地位に安住せず、80席の大型レストランをカウンター8席の小さな店へと変え、自らの原点に立ち返る選択をした三國清三さん。その挑戦の背景には、長年支え続けてきた妻・久美子さんと、海外で研究者として活躍する娘・珠杏さんの存在があることは間違いないでしょう。

三國清三の妻・久美子と家族の総まとめ

  • 三國清三さんの妻は三國久美子さんで、離婚の事実はない
  • 久美子さんは医師の娘として裕福な家庭で育った令嬢
  • 三國清三さんは久美子さんを一目惚れし、1985年に結婚
  • 結婚の決め手は「背が高く堂々とした立居振る舞い」と育ちの良さ
  • 久美子さんは1986年〜2011年の25年間、「オテル・ドゥ・ミクニ」のマダムを務めた
  • マダムとしての仕事はサービストレーニング・ヨーロッパ料理研究・新館内装総合プロデュースなど多岐にわたる
  • 現在の久美子さんは料理研究家・フードコンサルタントとして活動中
  • 離婚説が広まった理由は検索リンクのつながりとYouTubeに妻が未登場の2点であり、事実ではない
  • 一人娘の三國珠杏(じゃん)さんの名前は仏料理人ジャン・トロワグロ由来
  • 珠杏さんは幼稚園から高校まで成城学園に通い、歌舞伎俳優・尾上右近さんと同級生だった
  • 珠杏さんは慶應義塾大学から同大学院に進学
  • 2019年からはオーストリアのウィーン大学大学院にも在籍
  • 現在はウィーン大学の心理学研究員として活動中
  • 三國清三さんは2022年に「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店し、2024年秋に新レストラン「三國」を開業
  • 71歳となった現在も「燃え尽きるまで料理人であり続けたい」と語り、精力的に活動を続けている

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