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村竹ラシッドさんの母親について、どんな人なのか気になっている方は多いのではないでしょうか。
2024年パリ五輪で日本人初の男子110mハードル決勝進出・5位入賞を果たし、2025年には12秒92の日本新記録を樹立した村竹ラシッドさん。
その活躍の裏には、千葉県松戸市で育てた日本人の母親と、トーゴ出身の元陸上選手の父親の存在がありました。
この記事では、母親が決勝前に送ったLINEのエピソードや「村竹」姓の謎、父親のルーツ、家族構成まで詳しく解説します。
記事のポイント
①:母親は日本人で千葉県在住。パリ五輪に現地応援し決勝前に「顔が怖いぞ」「笑って」とLINEを送った
②:「村竹」という姓は母方から受け継がれたもので、父親はトーゴ出身のため日本姓は母系
③:父親はトーゴ共和国出身の元陸上代表で跳躍競技の選手。息子の身体能力のルーツ
④:家族構成は父・母・本人の3人家族とされ、両親の応援が12秒92の日本記録を支えた
村竹ラシッドの母と家族のルーツ|国際結婚の原点
- 母親が決勝前に放ったLINEの一言
- 「村竹」姓の謎|母方から受け継いだ日本の苗字
- 父親・トーゴ出身元陸上代表のプロフィール
- 両親の出会いと国際結婚の経緯
- 家族構成は父母と本人の3人家族
母親が決勝前に放ったLINEの一言
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村竹ラシッドさんの母親について、最も有名なエピソードといえば、2024年パリオリンピックでの決勝直前に届いたLINEです。
このエピソードは、母親がどれほど息子の競技を理解し、的確なサポートを行っているかを象徴する出来事として広く知られています。
決勝前に届いた「顔が怖いぞ」「笑って」のメッセージ
2024年8月のパリオリンピック男子110mハードル決勝前夜、村竹ラシッドさんのもとに母親からLINEが届きました。
内容は「顔が怖いぞ」「もっと楽しんで、笑って」というシンプルなひと言でした。
オリンピックという人生最大の舞台を目前にして、緊張で硬くなっていた表情を見抜いた母親だからこそ送れる言葉です。
村竹さんはインタビューで「この母親からのLINEでポジティブな思考に変えられた感じ」と振り返っており、メンタル面での一言が決勝レースに大きく影響したと語っています。
結果として村竹さんはパリ五輪決勝で5位入賞。日本人として史上初めて男子110mハードルの決勝の舞台に立ち、日本陸上界に歴史を刻みました。
パリ五輪に現地まで応援に来ていた母親
このLINEのエピソードからもわかるように、母親はパリオリンピックに現地まで応援に駆けつけていました。
「パリ五輪・世界大会などの大舞台には現地まで応援に来ている」とされており、単なるLINEでのサポートにとどまらず、体を張って息子の活躍を見届ける存在です。
会場に来ながらもプレッシャーを与えず、むしろ緊張を解く言葉を送るという母親のセンスは、長年にわたって息子の競技を見守ってきた経験の賜物だと感じます。
ここ、気になるポイントだと思うんですが、実はこの「笑って」という言葉、村竹さんの競技スタイルにもつながっているんです。
村竹さんはレース前後に漫画キャラのポーズを披露したり、観客を笑顔にするパフォーマンスで知られています。
楽しむことを競技の柱に置くスタイルは、幼い頃から母親に教えられた「楽しんで走れ」という姿勢が根底にあるのかもしれません。
「練習は本番のように、本番は練習のように」という母親の教え
母親からの言葉として、もうひとつ知られているのが「練習は本番のように、本番は練習のように」という教えです。
これは村竹さんが学生時代から言われ続けてきた言葉とされており、本番の緊張をいかに和らげて実力を発揮するかという精神的な土台になっています。
パリ五輪の決勝前LINEも、まさにこの哲学の延長線上にある行動だと考えると、母親の一貫したサポートの深さが伝わってきます。
村竹さん自身も「楽しむことが大切」「きつい練習をするだけだと思わず、競技そのものも楽しむことを忘れずに」と子どもたちにアドバイスしており、その言葉の原点は母親にあると言えるでしょう。
非公開の母親情報と家族のプライバシー方針
母親の名前や顔写真、職業といった詳細な個人情報は公表されていません。
村竹さんはInstagramを中心に自身の練習や試合の様子を発信していますが、家族に関するプライベートな投稿はほとんど行っていない点が特徴的です。
これは母親が一般人であり、プライバシーを重視するスタンスを持っているためと考えられます。
ただ、パリオリンピック期間中には観客席から応援する母親の姿が確認されたという情報があり、応援スタイルは非常に積極的な存在であることは確かです。
今後、特集インタビューやドキュメンタリー番組などで家族が紹介される可能性もあり、続報に期待したいところです。
「村竹」姓の謎|母方から受け継いだ日本の苗字
村竹ラシッドさんの苗字「村竹」は、父親がトーゴ出身の外国人であることから、母方から受け継がれた日本の姓であることがわかっています。
この「村竹」という苗字には、いくつかの興味深い背景があります。
なぜ「村竹」という日本姓なのか
「村竹(むらたけ)」という姓は母方から来ていると複数のメディアで報じられています。
父親はトーゴ共和国出身のため、日本の戸籍制度上、母親の苗字を名乗る形になったと考えられます。
国際結婚において、子どもが母親側の姓を名乗るケースは珍しくなく、特に外国人の父親と日本人の母親の場合、子どもが日本国籍を持つ際に母親の姓を選択することがあります。
「ラシッド」というファーストネームは明らかに西アフリカ・アラビア圏の文化を感じさせる名前ですが、苗字は純日本風という組み合わせが、村竹さんの二つの文化のルーツを象徴しています。
「村竹」という姓の分布と母方のルーツ
「村竹」という苗字は全国的に見てもそれほど多くない珍しい姓で、特に中国地方、とりわけ広島県や島根県に多く見られると伝えられています。
もしかすると、母親の家系は中国地方の出身である可能性があり、千葉県松戸市に移住する前から長い歴史を持つ苗字かもしれません。
下記の表は、村竹ラシッドさんの姓名に関する情報を整理したものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 苗字(姓) | 村竹(むらたけ) |
| 名前(名) | ラシッド(らしっど) |
| 姓の由来 | 母方から受け継がれた日本の苗字 |
| 姓の分布 | 中国地方(広島県・島根県等)に多い |
| 名の由来 | トーゴ・アラビア文化圏の男性名 |
| 国籍 | 日本国籍 |
名前「ラシッド」に込められた意味
「ラシッド(Rashid)」という名前は、アラビア語で「正しい道を行く者」「賢明な人」などを意味する言葉です。
トーゴはフランス語を公用語とする国ですが、一部の民族・地域ではイスラム教の影響を受けたアラビア語由来の名前が使われることがあります。
父親がこのような名前を息子に与えたということは、世界で堂々と生きる子どもに育ってほしいという願いが込められているのかもしれません。
実際、村竹ラシッドさんは国際大会でも物怖じせず、外国選手たちと堂々と渡り合う「正しい道を走る者」の姿を世界に見せてくれています。
日本とトーゴ、2つの文化が宿った名前
苗字が日本、名前がトーゴ・アラビア文化圏という組み合わせは、村竹さんが2つの文化の橋渡しとして存在していることを端的に示しています。
日本人の母親から受け継いだ「村竹」という苗字と、トーゴ人の父親からもらった「ラシッド」という名前。
この名前ひとつをとっても、彼の家族のバックグラウンドの豊かさが伝わってきます。
国際大会で「MURATAKE RASHID」と表示される名前を見るたびに、多文化の家庭で育った彼の姿が浮かぶファンも多いのではないでしょうか。
父親・トーゴ出身元陸上代表のプロフィール
村竹ラシッドさんの父親は、西アフリカのトーゴ共和国出身の元陸上選手です。
村竹さんの高い身体能力のルーツを探ると、必ずたどり着くのがこの父親の存在です。
父親のプロフィールと陸上競技歴
下記の表は、判明している範囲で父親のプロフィールをまとめたものです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身国 | トーゴ共和国(西アフリカ) |
| 専門種目 | 陸上競技・跳躍種目(走り幅跳び・三段跳び等) |
| 競技レベル | 元トーゴ陸上代表選手 |
| オリンピック出場 | なし(国内代表レベル) |
| 体格 | 身長が高く手足が長い |
| 性格 | 明るく社交的、家庭のムードメーカー |
| 現在の職業 | 非公表 |
トーゴ共和国とはどんな国か
トーゴ共和国(正式名称:トーゴ共和国)は、西アフリカのギニア湾に面した小さな国です。
隣国はガーナ、ベナン、ブルキナファソで、カカオやコーヒー、リン鉱石の生産が主要産業となっています。
公用語はフランス語で、人口の多くが若年層というエネルギッシュな国民性が特徴です。
陽気でフレンドリーな国民性はトーゴの特徴とも言われており、村竹さんがレース前後に笑顔でポーズを決める姿には、父親の明るいキャラクターが影響しているとも考えられます。
息子の競技スタイルへの影響
父親から受け継いだ手足の長い体格は、110mハードル選手として大きなアドバンテージです。
ハードル走に必要なのは、高い位置からのリーチと、体を素早くたたむ柔軟性。これらは遺伝的な体格によって大きく左右される要素です。
村竹さんのハードルを越えるフォームは「手足が長くしなやか」と評され、まさに父親のDNAが活きているといわれています。
さらに幼少期には「フォームの基礎や身体の使い方」を父親から教わることが多かったとされており、元陸上選手の父を持つという環境的アドバンテージも無視できません。
来日の経緯と日本での生活
父親がどのような経緯で来日したかの詳細は明らかにされていませんが、陸上競技を通じて日本に縁ができたと伝えられています。
千葉県松戸市という多文化共生の進む地域に家庭を構え、息子の村竹さんを日本人として育ててきました。
競技引退後は語学や文化の違いに向き合いながら日本での生活に適応し、地域の陸上クラブや学校での活動に関わった可能性も指摘されています。
父親の存在は、村竹さんが国際大会でも物怖じしない精神的強さや、多様な価値観を自然に受け入れる柔軟性の源になっているのでしょう。
また、トーゴ出身の父親を持つことで、村竹さんは幼い頃から英語やフランス語など複数の言語に触れる機会があり、国際感覚が自然と身についたとみられています。
スポーツを愛する父親の存在が、息子に「競技を楽しむ」というシンプルで大切な価値観を伝えたのは間違いなさそうです。
両親の出会いと国際結婚の経緯
トーゴ出身の父親と日本人の母親が、どのように出会い結婚に至ったのか。
詳細は非公表ですが、複数のメディア情報を総合すると、いくつかの手がかりが見えてきます。
出会いのきっかけと言われている説
村竹さんの両親の出会いについては、「陸上競技を通じた出会い」という説が最も有力とされています。
父親は陸上競技の跳躍選手として来日した経緯があるとみられ、スポーツイベントやボランティア活動を通じて母親と知り合ったという見方があります。
当時、外国人と日本人の国際結婚は今ほど一般的ではありませんでした。
それでも2人はお互いの文化を尊重し、家族を築くことを選んだのです。
言葉の壁を越えた夫婦の絆
父親のトーゴの公用語はフランス語です。
日本人の母親がフランス語や英語を学び、コミュニケーションをとりながら関係を深めていったと考えられています。
共通の話題は「スポーツ」であり、国境を越えてすぐに意気投合したという伝えられ方をしています。
スポーツへの共通の情熱が言葉の壁を乗り越えさせ、国際色豊かな家庭の基盤を作ったのでしょう。
千葉県松戸市に築いた家庭
2人は結婚後、千葉県松戸市に家庭を構えました。
松戸市は外国人住民も多く、多文化が共生する地域として知られており、国際結婚の家庭にとって住みやすい環境だったと言えます。
そうした地域の文化的多様性の中で育ったことが、村竹さんが幼い頃から国際感覚を自然に身につけた背景にあると考えられます。
食卓では西アフリカ料理と日本料理が同居していたともいわれており、文化の融合を日常として生きてきた環境が、後の世界舞台での活躍を後押ししたのです。
2つの文化が融合した家庭の教育方針
父親は「自由な発想と楽しむ心」を重視し、母親は「礼儀や勤勉さ」を大切にする姿勢を持っていたと伝えられています。
日本とトーゴ、2つの文化の良さを兼ね備えた家庭で育ったことが、村竹さんの競技スタイル——緻密な技術研究とエンターテイナー性の両立——につながっています。
「楽しんで走る」という姿勢と「技術を研究し尽くす」という姿勢、この2つが見事に共存しているのは、両親の異なる文化的バックグラウンドがブレンドされた結果とも言えます。
また両親の出会いが陸上競技を軸にしていたことも、息子が陸上を「家族のスポーツ」として自然に受け入れた一因と考えられます。
単に才能だけでなく、両親が作り上げた家庭の文化そのものが、村竹さんの競技人生の豊かな土台になっているのです。
家族構成は父母と本人の3人家族
村竹ラシッドさんの家族構成については、いくつかの情報が伝えられていますが、整理してみましょう。
3人家族という情報が有力
複数のメディア情報を総合すると、村竹ラシッドさんの家族構成は「父・母・本人」の3人家族である可能性が高いとされています。
下記の表は現在判明している家族構成をまとめたものです。
| 続柄 | 概要 | 備考 |
|---|---|---|
| 父親 | トーゴ共和国出身・元陸上選手 | 跳躍競技専門。詳細非公表 |
| 母親 | 日本人・千葉県在住 | 「村竹」姓の出元。現地応援が積極的 |
| 本人 | 村竹ラシッド | 110mハードル・日本記録保持者 |
| 兄弟姉妹 | 公表情報なし | 一人っ子の可能性が高い |
兄弟・姉妹の有無について
兄弟についての公式情報や報道はほとんど見当たらず、現時点では一人っ子の可能性が高いとされています。
ただし、「兄弟なし」と公式に明言されているわけではなく、プライバシー保護の観点から情報が出ていないだけの可能性もあります。
複数の情報源で「3人家族」という表現が使われていることから、少なくとも現在は父・母・本人という構成で生活しているとみて間違いないでしょう。
家族全員が支え合う関係性
村竹さん自身がインタビューで「家族がいたからここまで頑張れた」と語っており、家族の温かい支えが精神的な強さの源になっています。
母親がパリ五輪に現地で応援に来るなど、家族全員が息子の活躍を近くで見守る積極的なスタイルが特徴的です。
また、地元の陸上大会では両親そろって応援に駆けつける姿も目撃されており、家族の絆の強さがうかがえます。
地元・松戸への深い愛着と家族の記憶
村竹さんは現在、試合や練習でほとんどの時間を過ごしていますが、年に4〜5回は松戸に帰省しているそうです。
「車で帰ってくる際に新京成線の電車を見ると『帰ってきたな』と感じる」とも語っており、家族のいる松戸が心のよりどころになっています。
競技という孤独な戦いの中で、家族の存在が精神的な安定をもたらしているのは疑いようがありません。
トップアスリートとして世界の舞台に立つとき、その強さを最も身近で支えているのが母親の存在だと、村竹さん自身のエピソードからもわかります。
今後もさらなる活躍が続くと見られる村竹ラシッドさん。その背後には、松戸で静かに応援し続ける家族の姿があることは間違いないでしょう。
村竹ラシッドの母の支えと陸上人生の全記録
- 幼少期のプロフィールと松戸少年時代
- 松戸第一中学校でのハードル入門と転機
- 松戸国際高校でインターハイ優勝した理由
- 順天堂大学での挫折と成長の軌跡
- パリ五輪5位入賞|日本人初の決勝進出
- 12秒92の日本記録と世界陸上での活躍
幼少期のプロフィールと松戸少年時代
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村竹ラシッドさんの現在の快挙は、千葉県松戸市での少年時代から始まっています。
ここでは基本プロフィールと幼少期のエピソードをまとめます。
村竹ラシッドの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 村竹 ラシッド(むらたけ らしっど) |
| 生年月日 | 2002年2月6日 |
| 2026年10月11日現在の年齢 | 24歳 |
| 出身地 | 千葉県松戸市 |
| 身長・体重 | 179cm・76kg |
| 専門種目 | 男子110mハードル |
| 自己ベスト | 12秒92(日本記録) |
| 所属 | JAL(日本航空株式会社) |
| SNS | Instagram @rashi2ra__ |
| 趣味 | ドライブ・読書・ゲーム・競馬 |
| 苦手な食べ物 | おしるこ・ぜんざい |
幼少期はサッカー・水泳など多種目経験
村竹さんは松戸市立相模台小学校に通い、幼少期からスポーツへの関心が高い子どもでした。
サッカーや水泳など多種目でスポーツを経験し、幅広い運動能力の基盤を小学校時代から築いていたとされています。
多種目に挑戦する環境は、特定の競技に縛られない自由な体の使い方を習得するうえで重要な役割を果たします。
後にハードル走で世界トップレベルに達したのも、こうした幼少期の多様な運動経験が土台にあってこそと言えます。
小学5年生で陸上を始めたきっかけ
本格的に陸上競技を始めたのは小学5年生のとき。きっかけは担任の先生からの勧めでした。
「渋々ながらも始めてみたら面白くなった」という村竹さんのエピソードは、多くの陸上ファンの間でよく知られています。
人生を変えるきっかけが「担任の先生のひと言」というのは、指導者の影響力の大きさを改めて感じさせるエピソードです。
もし先生が声をかけていなければ、日本初の110mハードル決勝進出も、12秒92の日本記録もなかったかもしれないと思うと、運命的なものを感じます。
松戸という街での育ちと地元愛
村竹さんは松戸駅周辺で友人と遊び、ゲームセンターに通い、松戸まつりを楽しんだ少年でした。
「駅前の商業施設の中にあったゲームセンターに友だちと行っていました」と自身で語っており、普通の少年らしい日常を送っていたことがわかります。
また「市役所の近くにあるラーメン屋はおいしいですよ、よく行きます」とも発言しており、地元への愛着が今も続いています。
世界的なアスリートになった今も、松戸は心のふるさとであり続けているのです。
2025年10月の松戸ファンフェスタでは、松戸まつりの舞台に立ちながら「僕がイメージしていた松戸まつりは10年くらい前のこと。その人たちが自分を目当てに来てくれているのは、すごく嬉しい」と語っており、地元松戸への深い愛着がうかがえます。
母親が千葉県松戸市に住み続けていることも、村竹さんが帰省のたびに「帰ってきたな」と感じる故郷感の源になっているのでしょう。
松戸第一中学校でのハードル入門と転機
村竹ラシッドさんが陸上競技の中でも110mハードルに出会ったのは、松戸市立第一中学校時代です。
しかしその道は、決して最初から順風満帆ではありませんでした。
松戸第一中学校という環境
松戸市立第一中学校は、先輩に宇宙飛行士・山崎直子さんを持つ歴史ある学校です。
世界で活躍する先輩が出た環境で学んだことは、村竹さんの「自分も世界を目指す」という意識形成に良い影響を与えた可能性があります。
中学時代は本格的にハードル競技に取り組み始め、急速に才能を開花させていきます。
「練習がきつくて陸上を辞めようと思った」という本音
中学時代の練習について、村竹さんは驚くべき告白をしています。
「松戸一中時代のトレーニングがきつくて、高校では陸上を続ける考えはありませんでした」——これが当時の本音でした。
世界トップレベルのアスリートが中学時代に「辞めようと思った」という事実は、努力や継続の大切さを改めて教えてくれます。
また、当時は「体が小さく、体格が陸上競技に向いていないと思っていた」とも語っており、現在の179cmという恵まれた体格も、中学時代には完成していなかったことがわかります。
ハードル走に継続した理由と中学での実績
陸上を辞めかけていた村竹さんを引き留めたのは、「しっかり陸上をやるって決めて走り続けた」という自身の決意でした。
中学時代には110mハードルの基礎技術を着実に習得し、県内でも注目される選手へと成長していきます。
ハードル走の本質的な楽しさに気づいていったのも、この中学時代だったと考えられます。
「そこから面白くなってハードルを続けて、いまも走っているっていう感じ」と村竹さん自身が振り返っているように、中学時代は苦しいながらも「競技の面白さ」を発見する重要な期間だったのです。
母校での凱旋と後輩へのハードル指導
2025年10月4日、世界陸上終了から2週間後に行われた「松戸ファンフェスタ」では、村竹さんが母校の松戸第一中学校に凱旋し、小中学生25名にハードル走を直接指導しました。
「ハードルを飛び越えるときは、なにも怖がらずに自然体で跳んでいくことが大事」と子どもたちにアドバイスし、自らデモランを披露した場面は多くの人の心に残っています。
かつて「辞めたい」と思った場所に世界で戦う選手として戻ってきた——この事実が村竹さんの競技人生の感動をより深くしています。
指導を受けた小中学生たちも「この短い時間でもきちんと成長が見られた」と村竹さんが感想を語っており、後進の育成にも積極的な姿勢が印象的です。
世界陸上の準決勝・決勝の際には、後輩たちが松戸第一中学校でパブリックビューイングを実施し、150以上のメッセージアルバムが贈られたというエピソードも、中学時代を大切にしている証です。
松戸国際高校でインターハイ優勝した理由
高校進学に際して、村竹ラシッドさんは千葉県立松戸国際高校を選択しました。
この選択が、世界トップアスリートへの道を大きく開くことになります。
松戸国際高校を選んだ2つの理由
村竹さんが松戸国際高校を選んだ理由は明確に語られています。
ひとつは「自宅から通える距離だったこと」、もうひとつは「国際教養科で学びたいカリキュラムがあったこと」です。
トーゴ出身の父を持つ村竹さんにとって、国際的な視野を広げる学びの環境は魅力的だったのでしょう。
しかし入学当初、村竹さんは高校でも陸上を続けるつもりはなかったと明かしています。
そこに現れたのが熱心に誘ってくれた先輩たちでした。「高校の先輩が熱心に誘ってくれて、陸上を続けることになりました」——この出会いが歴史を変えます。
高校での体格変化と適応の苦労
高校に入ってからは、「自分の体格の変化やハードルの高さの変化など、変化に適応することに苦戦した時期もありました」と語っています。
中学から高校へのハードルの高さ変化(91.4cmから106.7cmへ)は、多くのハードル選手が直面する大きな壁です。
さらに思春期の体格変化が重なる中で、フォームを根本から組み直す作業が必要でした。
それでも村竹さんは地道な努力を続け、高校でインターハイ優勝という全国制覇を成し遂げます。
インターハイ優勝・13秒91の衝撃
松戸国際高校時代、村竹さんは全国高校総体(インターハイ)で優勝し、13秒91という記録を叩き出しました。
この記録は高校歴代3位タイという歴史的なタイムで、当時から全国トップクラスの選手として注目を集めることになります。
高校時代の成績を時系列でまとめると以下の通りです。
| 大会 | 記録 | 順位・備考 |
|---|---|---|
| 全国高校総体(インターハイ) | 13秒91 | 優勝・高校歴代3位タイ |
| 高校時代全体 | 14秒04 | 全国制覇(別大会での記録) |
陸上を続けた先に見えた未来
中学時代に「やめたい」と思い、高校でも最初は継続するつもりがなかった村竹さんが、先輩に引き留められて続けた結果がインターハイ優勝です。
「続けていれば必ずチャンスは来る」という言葉を体現するキャリアは、これからの若い選手たちへの大きなメッセージになっています。
松戸国際高校の「国際教養科」という学習環境も、村竹さんのグローバルな視野を育てる上で重要な役割を果たしました。
英語教育に力を入れるこの科で学んだことが、後の国際大会での外国選手との交流や、堂々とした立ち居振る舞いにつながっていると考えられます。
インターハイ優勝後、「インターハイ優勝者」として全国の注目を集めた村竹さんは、陸上界での自分の可能性を信じ、さらに高い舞台を目指すことを決意するのです。
順天堂大学での挫折と成長の軌跡
高校でインターハイ優勝を果たした村竹ラシッドさんが次に進んだのは、スポーツの名門・順天堂大学スポーツ健康科学部です。
大学時代は日本陸上界の新星として急成長した一方で、大きな挫折も経験します。
順天堂大学でのプロフィールと副主将就任
村竹さんは順天堂大学スポーツ健康科学部に進学し、大学の副主将も務めてリーダーシップを発揮しました。
学業と競技を両立しながら、大学2年時にU20日本記録となる13秒28を樹立するなど、次々と成果を積み上げていきます。
日本インカレでは複数回優勝し、学生トップの実力を証明しました。
大学2年での左ハムストリングス肉離れ
順調に見えた大学生活に影を落としたのが、2023年4月の左ハムストリングス肉離れです。
この怪我により一時的に活動休止を余儀なくされた村竹さんですが、このピンチを前向きに捉えました。
「今までできていた部分でも、『本当にその動きが正しいのか』と。イチから見つめ直すいい機会になりました」——この言葉が彼の強さを象徴しています。
復活後に樹立した日本タイ記録13秒04
怪我から復活した2023年9月、日本インカレで13秒04という驚異的なタイムを記録し、日本タイ記録を樹立しました。
このときの村竹さんの発言が印象的です。「(13秒)15とかが出ればいいかなと思っていたので、ちょっとびっくりです。やっとここまで来られた」——谦虚な言葉の中に、長い苦労からの解放感がにじみ出ています。
大学時代の主な成績をまとめると以下の通りです。
| 年度 | 主な記録・大会 | 備考 |
|---|---|---|
| 大学2年 | U20日本記録 13秒28 | 順天堂大学在学中 |
| 2023年 | 日本インカレ 13秒04 | 日本タイ記録・日本選手権で13秒27 |
| 2024年 | 日本選手権優勝 13秒07 | パリオリンピック代表内定 |
JAL(日本航空)への入社と社会人デビュー
順天堂大学卒業後は2024年4月にJAL(日本航空株式会社)に入社し、アスリート社員として競技を続けています。
日本を代表する航空会社でありながら、世界へ羽ばたくアスリートを支援するJALの環境は、村竹さんの競技スタイルにも合っていると考えられます。
JALには同じく2025年世界陸上(東京)200mに出場した鵜沢飛羽さんも所属しており、刺激し合える環境が整っています。
大学時代の副主将経験で培ったリーダーシップも、社会人選手として後輩や仲間を引っ張る際に活かされているのでしょう。
肉離れという挫折を「イチから見つめ直すいい機会」と前向きに捉えた経験は、社会人になってからの競技継続においても、困難を乗り越える精神的な支柱になっています。
パリ五輪5位入賞|日本人初の決勝進出
2024年8月のパリオリンピックは、村竹ラシッドさんにとって人生最大の舞台でした。
そしてその舞台で、日本陸上界の歴史が塗り替えられたのです。
日本人初の男子110mハードル決勝進出
パリオリンピックで村竹さんは予選・準決勝を突破し、日本人として史上初めて男子110mハードルの決勝に進出しました。
この快挙だけで、すでに日本陸上界の新しい歴史が刻まれています。
決勝では世界のトップハードラーたちと真正面から勝負し、5位入賞という結果を残しました。
母親からのLINEが決勝を変えた
決勝前夜、緊張で表情が硬くなっていた村竹さんに届いた母親からのLINE「顔が怖いぞ」「もっと楽しんで、笑って」。
この一言でポジティブな思考に切り替えられたと村竹さん自身が語っており、母親のサポートが決勝のパフォーマンスに直接影響しました。
世界トップレベルの選手が精神面でつまずく瞬間に、的確な言葉で支えた母親の存在は大きく評価されています。
パリ五輪後の発言と次への決意
決勝レースを終えた後、村竹さんは率直に心境を語りました。
「パリオリンピックから1年間、メダルを獲ることだけを考えて走ってきたので、あのとき涙が出てしまいましたけど、いまは気持ちが前に向いていますし、まだまだ陸上をやめるつもりもありません。これからの長いキャリアの中で、メダルを獲りたいと思っています」——この言葉からは、一時の感情を乗り越えた強さと冷静さが伝わります。
パリ五輪での成績と今後の目標
パリ五輪で日本陸上界の新たなページを開いた村竹さんの目標は、次の北京世界陸上とロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得です。
「次の北京での世界陸上と、ロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得に向けて、しっかり歩んでいきたい」——この言葉を支える母親の存在が、これからも大きな力になるでしょう。
パリ五輪の決勝という人生最高の舞台で、緊張から解放されたポジティブなメンタルで走ることができたのは、母親のLINEという「ひと言の力」があったからこそです。
5位という結果に「涙が出た」と語りながらも、すぐに「気持ちが前に向いている」と切り替えた精神力の強さも、長年にわたる家族のサポートによって培われたものだと感じます。
パリ五輪後、松戸隆政市長から花束が贈られた松戸ファンフェスタでのスピーチでも「みなさんの熱い応援をいただきながら走ることができて、すごくうれしかった」と地元と家族への感謝を素直に語っていたのが印象的でした。
12秒92の日本記録と世界陸上での活躍
パリ五輪後も村竹ラシッドさんの快進撃は止まりませんでした。
2025年は日本陸上界にとって歴史的な年となります。
2025年ナイトゲームズ・イン福井での12秒92
2025年のナイトゲームズ・イン福井において、村竹さんは12秒92の日本新記録を樹立しました。
これは日本人選手として史上初めて12秒台に突入した歴史的な記録です。
「日本人も12秒台を出せる」という事実を証明したこの記録は、今後の日本陸上界に計り知れない影響を与えるものです。
自身の強みについて村竹さんは「結果が安定していながらも、毎年0.1秒ずつアベレージタイムをあげているところ」と語っており、着実な成長が記録更新につながっています。
2025年アジア選手権優勝と安定した成績
2025年はアジア選手権でも優勝を果たし、アジア最強のハードラーとしての地位を確立しました。
日本記録保持者かつアジアチャンピオンという二冠は、世界舞台でも十分に通用する実力を証明しています。
東京2025世界陸上での5位入賞
2025年の東京世界陸上競技選手権大会では男子110mハードルで5位入賞を果たし、パリ五輪に続いて世界の頂点に肉薄しました。
「メダルを獲ることだけを考えて走ってきた」という宣言通り、メダルまでわずかという位置まで迫りながらも、今後への確かな手応えをつかみました。
主な成績をまとめると下記の通りです。
| 年度 | 大会 | 記録・結果 |
|---|---|---|
| 2024年 | パリオリンピック | 5位入賞(日本人初決勝進出) |
| 2025年 | ナイトゲームズ・イン福井 | 12秒92(日本新記録) |
| 2025年 | アジア選手権 | 優勝 |
| 2025年 | 東京世界陸上 | 5位入賞 |
競馬好きという意外な素顔
競技以外では、村竹さんは競馬好きであることでも知られています。
2025年12月のスポニチフォーラムの表彰式で、JOC橋本聖子会長から「競馬好きと聞いているが、私の実家は北海道で競走馬の生産牧場をしている」と話しかけられ、会場を沸かせました。
世界的なアスリートの意外な趣味が明らかになった瞬間として、スポーツファンの間でも話題になっています。
「競馬好き」というキャラクターは、村竹さんのエンターテイナーとしての側面とも重なります。
漫画(ジョジョ・ボーボボ・HUNTER×HUNTER)のキャラクターポーズを披露するパフォーマンスでも知られており、競技とエンタメを両立する「新時代のアスリート」として人気を博しています。
世界の舞台でこうしたユニークなパフォーマンスができるメンタルの強さは、母親が「もっと楽しんで、笑って」と背中を押してくれた教育の賜物だとも言えるかもしれません。
村竹ラシッドの母と家族のサポートに関する総まとめ
- 村竹ラシッドは2002年2月6日生まれ、千葉県松戸市出身
- 母親は日本人で千葉県在住。「村竹」という苗字は母方から受け継がれた
- 母親はパリ五輪に現地まで応援に駆けつけた積極的なサポーターである
- 決勝前に「顔が怖いぞ」「もっと楽しんで、笑って」とLINEを送り、息子の緊張を解いた
- 母親からの教えは「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉
- 父親はトーゴ共和国出身の元陸上代表選手。跳躍競技(走り幅跳び・三段跳び)専門
- 父親から受け継いだ手足の長い体格とリズム感が110mハードルに最適
- 家族構成は父・母・本人の3人家族(兄弟情報は公表なし)
- 学歴は松戸相模台小→松戸第一中→松戸国際高→順天堂大学スポーツ健康科学部
- 高校時代はインターハイ優勝、記録は13秒91(高校歴代3位タイ)
- 大学2年で左ハムストリングス肉離れを経験するも前向きに乗り越えた
- 2024年パリ五輪で日本人初の110mハードル決勝進出・5位入賞を果たした
- 2025年ナイトゲームズ・イン福井で12秒92の日本新記録を樹立
- 2025年アジア選手権優勝・東京世界陸上でも5位入賞と安定した世界上位の実力を発揮
- 今後は北京世界陸上・ロサンゼルスオリンピックでのメダル獲得を目標に掲げている
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