戸上隼輔の兄弟は2人|卓球一家の末っ子を育てた兄と両親の素顔

※当記事は公開情報をまとめた考察記事です。記載内容は執筆時点で確認できた情報に基づきます。
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卓球日本代表として世界の舞台で活躍する戸上隼輔さんは、2025年の世界卓球で64年ぶりとなる男子ダブルス金メダルを獲得したトップ選手です。

そんな戸上隼輔さんが強くなった背景には、実は2人の兄の存在があったことをご存じでしょうか。

戸上隼輔さんは3兄弟の末っ子で、卓球を始めたきっかけも兄たちの影響だったと語られています。

兄たちの名前や年齢差、進路はもちろん、兄弟3人を育てた両親の経歴まで、卓球一家の全体像をわかりやすく整理していきますね。

読み終える頃には、戸上隼輔さんの強さを支えた家族の絆がきっと見えてくるはずですよ。

記事のポイント

①:戸上隼輔は3兄弟の末っ子で兄が2人いる

②:卓球を始めたのは兄の影響だった

③:長男は津工業高から一般企業へ進んだ

④:両親も元卓球選手の卓球一家だった

戸上隼輔の兄弟構成と卓球一家の全体像

  • 戸上隼輔は3兄弟の末っ子|5人家族の構成
  • 【12歳上】長男・翔一の経歴と進路
  • 【9歳上】次男・雄貴の学歴と職業
  • 卓球を始めたきっかけは兄の影響
  • 年の差兄弟の絆と幼少期エピソード

戸上隼輔は3兄弟の末っ子|5人家族の構成

 

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まず、戸上隼輔さんの兄弟構成から整理していきますね。

結論から言うと、戸上隼輔さんは父・母・兄2人・本人という5人家族の3兄弟の末っ子です。

年の離れたお兄さんが2人いて、家族全員が卓球経験者という、まさに卓球一家として知られています。

ここでは、まず本人の基本プロフィールと家族全体の構成をまとめて確認していきましょう。

戸上隼輔の基本プロフィール

戸上隼輔さんは2001年8月24日生まれ、三重県津市の出身です。

下記の表は、戸上隼輔さんの基本情報をまとめたものです。

項目 内容
名前 戸上 隼輔(とがみ しゅんすけ)
生年月日 2001年8月24日
2026年09月01日現在の年齢 25歳
出身地 三重県津市
出身中学 津市立橋南中学校→野田学園中学校(山口県)
出身高校 野田学園高等学校(山口県)
出身大学 明治大学
得意技 カミソリドライブ

戦型は右シェークの裏裏で、両ハンドから繰り出す高速ドライブが最大の武器です。

小学生の頃から全国大会の常連で、着実に力をつけてきた努力の選手なんですよ。

家族構成は父・母・兄2人の5人家族

戸上隼輔さんの家族構成は、両親と2人の兄、そして本人を合わせた5人家族です。

下記の表で、戸上家の家族構成を整理してみます。

続柄 人物 備考
父親 義春 元卓球選手・インターハイダブルス優勝者
母親 恵子 元卓球選手・隼輔の指導者
長男 翔一(12歳上) 津工業高校から一般企業へ
次男 雄貴(9歳上) 津工業高校→熊本大学工学部
三男 戸上隼輔 プロ卓球選手

こうして並べてみると、両親も兄2人も全員が卓球経験者という、かなり珍しい家庭だとわかりますよね。

末っ子の戸上隼輔さんが卓球の道に進んだのも、ある意味で自然な流れだったのかもしれません。

三重県津市に定着した戸上家

戸上家はもともと転勤の多い家庭で、引っ越しを繰り返してきました。

そんな一家が三重県津市に定着したのは、戸上隼輔さんが保育園の年長だった年の秋のことだったそうです。

つまり戸上隼輔さんにとっての地元は三重県津市で、幼少期からこの地で卓球に打ち込んできました。

中学2年で山口県の野田学園へ転校したあとも、実家は三重県津市のままだと考えられています。

地元に腰を据えた戸上家で、3兄弟がそろって卓球に励む日々が始まっていったわけですね。

戸上隼輔の所属と現在の活動拠点

末っ子として卓球一家で育った戸上隼輔さんは、現在プロの卓球選手として第一線で戦っています。

所属は井村屋グループで、企業のバックアップを受けながら国内外の大会を転戦しているんですよ。

さらに近年は、ドイツのブンデスリーガ1部・オクセンハウゼンにも所属し、世界最高峰のリーグで腕を磨いています。

三重県津市という地方から出発した少年が、いまや海を越えて世界の舞台で活躍しているのは本当にすごいことですよね。

その原点に卓球一家としての戸上家があると思うと、家族の存在の大きさをあらためて感じます。

ここからは、そんな戸上隼輔さんを支えた2人の兄について、一人ずつ詳しく見ていきましょう。

【12歳上】長男・翔一の経歴と進路

ここでは、戸上隼輔さんの一番上の兄である長男・翔一さんについて整理します。

結論から言うと、翔一さんは戸上隼輔さんより12歳年上で、卓球一家のなかで最初に卓球を始めた人物です。

年齢が親子ほど離れているため、末っ子の隼輔さんにとっては「第二の父親」のような存在だったとも言われています。

長男・翔一の年齢とプロフィール

長男の翔一さんは、戸上隼輔さんより12歳年上のお兄さんです。

戸上隼輔さんが2001年生まれなので、翔一さんは1989年前後の生まれ、現在は37歳前後ということになります。

これだけ年齢が離れていると、幼い隼輔さんはずいぶん可愛がられたのではないでしょうか。

兄というより保護者に近い立場で、小さな弟の面倒を見ていた様子が想像できますよね。

卓球一家の最初のきっかけをつくった存在

実は戸上家が卓球一家になった最初のきっかけは、この長男・翔一さんにあります。

翔一さんが「友達をつくるために卓球がしたい」と両親に伝えたことが、すべての始まりでした。

以前に遊園地で遊んだ卓球が楽しかった記憶が残っていたことが、その理由だったそうです。

この一言がなければ、もしかすると弟の戸上隼輔さんも卓球と出会っていなかったかもしれません。

そう考えると、翔一さんの存在は戸上家にとって本当に大きかったんだなと感じます。

津工業高校から一般企業へ進んだ進路

翔一さんの進路について整理すると、三重県立津工業高校へ進学したと伝えられています。

高校卒業後は大手メーカーであるパナソニックに進んだという情報もあります。

卓球選手として競技の道に進んだわけではありませんが、弟のプレースタイルに与えた影響は小さくないはずです。

現在の詳しい活動については一般の方ということもあり公表されていませんが、弟の活躍を誰よりも誇りに思っているのではないでしょうか。

第二の父親のような長男の存在

12歳という年の差を考えると、翔一さんは末っ子の隼輔さんにとって単なる兄以上の存在だったはずです。

戸上隼輔さんが幼い頃、翔一さんはすでに高校生や大学生くらいの年齢だったことになります。

そのため、一緒に遊んだり、卓球を教えたり、時には叱ったりと、まさに「第二の父親」のような役割を担っていたと考えられます。

父・義春さんが直接卓球を教えなかったぶん、年上の兄が身近なお手本になっていたのかもしれませんね。

末っ子が甘えられる相手であると同時に、目標にできる背中でもあった。

そんな長男の存在が、戸上隼輔さんの人格形成にも大きく影響していると感じます。

【9歳上】次男・雄貴の学歴と職業

続いて、戸上隼輔さんの2番目の兄である次男・雄貴さんを見ていきます。

結論から言うと、雄貴さんは戸上隼輔さんより9歳年上で、学業でも優秀だったお兄さんです。

戸上隼輔さんが本格的に卓球を志したのは、この次男の姿がきっかけだったとも語られています。

次男・雄貴の年齢と人物像

次男の雄貴さんは、戸上隼輔さんより9歳年上のお兄さんです。

計算すると1992年前後の生まれで、現在は34歳前後になります。

長男ほどではないものの、9歳差というのはやはり大きな年の差ですよね。

兄2人ともイケメンだと評判で、戸上隼輔さんの端正な顔立ちも家族ゆずりなのかもしれません。

津工業高校から熊本大学工学部へ

雄貴さんは、長男と同じ三重県立津工業高校に進学したと伝えられています。

その後は熊本大学の工学部に進み、システムエンジニアになったという情報があります。

スポーツだけでなく学業でもしっかり結果を出しているあたり、戸上家の底力を感じますよね。

卓球で培った集中力や努力する姿勢が、勉強の面でも活きたのかもしれません。

戸上隼輔が本格的に卓球を志した理由

戸上隼輔さん本人は、卓球を本格的にやろうと決意した理由をこう振り返っています。

それは「2番目の兄が大会を勝ち進む姿が格好良かった」というものでした。

5歳のときにその決意を母親に打ち明けると、「本気でやるんだったらいいよ」と背中を押されたそうです。

次男・雄貴さんの真剣な姿が、幼い弟の心に火をつけたわけですね。

兄の背中を追いかけるという原体験が、のちの世界チャンピオンを生む出発点になったのだと思うと胸が熱くなります。

文武両道を体現した優秀な兄

次男・雄貴さんの歩みを見ると、卓球と学業をきっちり両立させた優秀さが際立ちます。

三重県立津工業高校で卓球に打ち込みながら、国立の熊本大学工学部に進学したと伝えられています。

そして卒業後はシステムエンジニアという専門職に就いた、まさに理系エリートのお兄さんなんですよ。

スポーツで培った集中力や粘り強さを、そのまま勉強にも活かしたのではないでしょうか。

戸上家の子どもたちは、卓球だけでなく努力を続ける姿勢そのものを共有していたのだと感じます。

弟の隼輔さんが厳しい環境に飛び込んでいけたのも、こうした兄たちの背中があったからかもしれませんね。

卓球で全国レベルを経験しつつ、学業でも国立大学に進むというのは並大抵のことではありません。

努力を当たり前に続けられる姿勢こそ、戸上家に共通する一番の強みなのだと感じます。

卓球を始めたきっかけは兄の影響

ここでは、戸上隼輔さんが卓球を始めたきっかけについて、もう少し深掘りしていきます。

結論から言うと、戸上隼輔さんが卓球と出会えたのは2人の兄が先に卓球を始めていたからにほかなりません。

親が無理に勧めたわけではなく、あくまで子どもたち自身の意思から広がっていったのが戸上家の特徴です。

3歳でラケットを握った末っ子

戸上隼輔さんが卓球のラケットを握ったのは、なんと3歳の頃だったと言われています。

2人の兄に連れられて地元のクラブチームに足を運ぶうちに、自然と卓球が好きになっていったそうです。

4歳で三重県の予選大会に出場し、5歳の頃には「卓球一本で行く」と決意していたというから驚きです。

遊びたい盛りの年齢で、これだけ強い意志を持てたのは、身近に憧れの兄がいたからこそでしょうね。

親の勧めではなかった卓球への道

意外に思われるかもしれませんが、戸上家の卓球は親が勧めたものではありませんでした。

両親ともに元卓球選手でありながら、「子どもには卓球をさせるつもりはなかった」と語られています。

理由は、卓球にはオフシーズンがなく、一年中大会が続いて休みが少ない過酷な競技だからです。

それでも3人の息子たちが自らやりたいと言い出したのですから、まさに血は争えないという感じですよね。

兄弟でつないだ卓球のバトン

戸上家の卓球は、長男から次男、そして末っ子の隼輔さんへとバトンのようにつながっていきました。

長男が「友達づくり」で始めた卓球に次男が続き、その姿を見た隼輔さんも自然と加わっていったのです。

家の中に卓球が当たり前にある環境が、末っ子の才能を早くから引き出したと言えます。

兄弟がいなければ生まれなかったであろうこの流れが、戸上隼輔さんの卓球人生の土台になっているんですね。

家に卓球が当たり前にあった環境

戸上家の強さの秘密は、卓球がごく自然に生活の一部になっていた点にあります。

両親が元選手で、兄2人も競技経験者となれば、家の中の話題や遊びに卓球が入り込むのは当然ですよね。

戸上隼輔さんは、そんな環境で物心がついたときにはすでにラケットを握っていたと振り返っています。

特別な英才教育というより、家族の日常の延長線上に卓球があったというイメージです。

だからこそ、4歳で県予選、5歳で「卓球一本」を決意という早熟な歩みも、無理なく積み重ねられたのでしょう。

兄弟でバトンをつなぎ、家族で盛り上げていく。

この温かい循環こそが、戸上家を卓球一家たらしめている一番の要素だと感じます。

年の差兄弟の絆と幼少期エピソード

ここでは、年の離れた兄弟ならではの絆や、幼少期のエピソードを整理していきます。

結論から言うと、戸上家は12歳差・9歳差という大きな年の差を、卓球という共通点で結びついた仲の良い兄弟でした。

ここ、意外と気になるポイントだと思うので、丁寧に見ていきますね。

可愛がられて育った末っ子の立場

12歳上と9歳上のお兄さんに囲まれて育った戸上隼輔さんは、末っ子らしく可愛がられて育ちました。

年の差があると兄というよりお兄さんたちが「第二の父親」のような存在だったのではないでしょうか。

よく遊んでもらったり、ときには厳しく鍛えられたりしながら、たくましく成長していったはずです。

甘えん坊な一面もありつつ、競技になると人一倍負けず嫌いという二面性も、末っ子ならではですよね。

卓球でつながった兄弟の共通点

年の差がある兄弟は性格や趣味が違うことも多いですが、戸上家には強い共通点がありました。

それが、言うまでもなく「卓球」という存在です。

兄たちと一緒にラケットを振る時間が、幼い戸上隼輔さんにとって何よりの楽しみだったと考えられます。

家の中がちょっとした卓球道場のようになっていた様子が目に浮かびますよね。

自宅に卓球台を欲しがった少年時代

戸上隼輔さんの卓球好きを物語る、こんなエピソードも残っています。

自宅に卓球台を欲しがった隼輔さんに、母は「これから食事も卓球台ですることになるけどいい?」と言って我慢させたそうです。

それほどまでに卓球にのめり込んでいた少年時代だったわけですね。

一方で、友達と「お笑いをやろうかな」と口にしたときは母が背中を押すなど、のびのびとした一面もありました。

兄弟や家族に見守られながら、好きなことにまっすぐ打ち込める環境が整っていたのだと感じます。

兄弟仲の良さを感じさせる家族の姿

大きな年の差がありながら、戸上家の兄弟仲はとても良かったと伝えられています。

末っ子の隼輔さんは兄たちにたっぷり可愛がられ、その愛情を受けてすくすくと育ちました。

また、兄2人ともイケメンだと評判で、戸上隼輔さんの整った顔立ちも家族ゆずりだとうかがえます。

卓球という共通の話題があるぶん、年が離れていても会話が弾みやすかったのではないでしょうか。

中学2年で親元を離れてからは一緒に過ごす時間こそ減りましたが、家族の絆はいまも変わらず続いていると考えられます。

離れていても互いを思い合える関係というのは、本当に理想的な兄弟の形ですよね。

戸上隼輔の兄弟を育てた両親と家族の今

  • 父・義春の経歴|インターハイ優勝者の実力
  • 母・恵子のスパルタ指導の真相
  • 兄弟3人が育った卓球一家の練習環境
  • 兄の影響で世界へ|戸上隼輔の実績
  • 兄たちの現在は非公表?噂を整理

父・義春の経歴|インターハイ優勝者の実力

 

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ここでは、戸上隼輔さんの兄弟3人を育てた父・義春さんについて整理します。

結論から言うと、父・義春さんは高校時代にインターハイ男子ダブルスで優勝した実力者の元卓球選手です。

まさに戸上家の卓球のルーツと言える存在ですね。

熊本県南関町出身の父・義春

父・義春さんは、熊本県南関町の出身だと伝えられています。

パリ五輪の際には、父の出身地である南関町の有志が応援する会を結成し、地元をあげてエールを送りました。

応援タオルを町内の小中学校や郵便局に配るなど、地域ぐるみで戸上隼輔さんを後押ししたそうです。

父の故郷まで巻き込んで応援されるというのは、選手にとって本当に心強いことですよね。

柳川高校でインターハイダブルス優勝

義春さんの卓球選手としての実績は、なかなかのものです。

1982年、福岡県の柳川高校からインターハイ男子ダブルスに出場し、見事優勝を果たしています。

下記の表は、父・義春さんの卓球経歴を時系列でまとめたものです。

時期 出来事
高校時代 福岡県・柳川高校で全国トップクラスに
1982年 インターハイ男子ダブルスで優勝
高校卒業後 和歌山県の実業団チームで活躍
実業団時代 同じ会社で卓球をしていた恵子さんと出会う

インターハイ王者という実績を持つ父の血が、息子たちにも受け継がれていると考えると納得ですよね。

子どもに卓球を教えなかった父

意外なことに、義春さんは息子たちに直接卓球を教えることはほとんどなかったそうです。

戸上隼輔さん自身も「父は僕の練習を見ることがなくて」と当時を振り返っています。

実際の指導は母が担い、父はあくまで見守る立場だったようですね。

それでもインターハイ優勝者としての遺伝的な素質は、確実に子どもたちへ受け継がれていたのだと思います。

実業団で歩んだ父の卓球人生

父・義春さんは、高校卒業後もすぐには卓球を辞めませんでした。

和歌山県の実業団チームに所属し、社会人選手としてプレーを続けたと伝えられています。

そしてこの実業団時代に、同じ会社で卓球をしていた恵子さんと出会い、結婚に至りました。

つまり戸上家は、卓球がつないだ縁から生まれた家庭だということになりますね。

高校日本一の実績を持つ父と、同じ競技に打ち込んだ母。

この2人が結ばれたからこそ、3兄弟そろって卓球の才能を開花させる土壌が生まれたのだと感じます。

父の現在の職業については、一般の方ということもあり具体的な情報は公表されていません。

それでも、地元・南関町の人々が総出で応援するほど、地域に愛される存在であることは間違いなさそうです。

母・恵子のスパルタ指導の真相

ここでは、戸上隼輔さんの卓球を最も近くで支えた母・恵子さんについて整理します。

結論から言うと、母・恵子さんは戸上隼輔さんを幼少期から直接指導した、愛情あふれる熱血指導者です。

戸上隼輔さんの強さの原点は、この母の存在にあったと言っても過言ではありません。

元実業団選手だった母・恵子

母・恵子さんもまた、卓球経験者です。

転勤の多い家庭で育った恵子さんは、和歌山で同じ会社の卓球部に所属していた時期があったと伝えられています。

そこで卓球選手だった義春さんと出会い、いわゆる職場結婚をしたというドラマのような馴れ初めなんですよ。

卓球がつないだ縁から、のちの卓球一家が誕生したわけですね。

泣きながら練習した幼少期の指導

恵子さんの指導は、かなり熱のこもったものでした。

戸上隼輔さんは幼少期、夕方5時から夜10時まで母とマンツーマンで練習していたと語られています。

本人いわく「毎日怒られて、ずっと泣きながら練習していた」というほどの厳しさだったそうです。

それでも「卓球を嫌いになることはなかった」というのですから、根っからの卓球好きだったのでしょうね。

厳しさの奥にある愛情を、幼いながらに感じ取っていたのかもしれません。

カミソリドライブを支えた母の指導

戸上隼輔さんの代名詞ともいえる得意技が「カミソリドライブ」です。

この鋭いフォアハンドは、母・恵子さんが徹底的に磨いてくれたフォアハンドが土台になっていると言われています。

幼い頃から積み上げてきた基礎があるからこそ、あのスピードと切れ味が生まれるんですね。

世界の舞台でその技が炸裂するたびに、お母さんもきっと誇らしい気持ちでいっぱいだと思いますよ。

中学2年まで支えた母の献身

母・恵子さんが戸上隼輔さんと一緒に暮らせたのは、中学2年の夏までだったと語られています。

隼輔さんが野田学園へ転校して寮生活に入ってからは、離れて暮らす時間の方が長くなりました。

それでも恵子さんは、仕事を休める日はできるだけ試合会場へ足を運び、LINEで体調を気遣うなど、変わらず息子を支え続けています。

「少しでも隼輔を見ていたい」という言葉には、母親としての深い愛情がにじんでいますよね。

また恵子さんは、隼輔さんが国際大会で不調だった際、映像を見ただけで胃腸の異変に気づいたこともあったそうです。

離れていても誰よりも息子を見つめている。

そんな母の存在が、戸上隼輔さんの大きな支えになっているのは間違いありません。

兄弟3人が育った卓球一家の練習環境

ここでは、戸上隼輔さんと兄弟が卓球の腕を磨いた練習環境について整理します。

結論から言うと、戸上家の子どもたちは地元の「松生卓球道場」で基礎から鍛えられたと伝えられています。

この環境が、末っ子の非凡な才能を早くから引き出したポイントでした。

地元の松生卓球道場に通った日々

次男の雄貴さんと隼輔さんは、地元の実業団選手だった松生幸一さんの道場に通い始めました。

戸上隼輔さんは小学2年の頃から松生卓球道場への送り迎えを母にしてもらい、基礎を積み重ねていったそうです。

学校が終わると直接道場へ向かい、夜まで帰ってこないという毎日を送っていました。

こうした地道な積み重ねが、のちの全国トップへの階段になっていったんですね。

非凡な才能を見抜いた指導者の証言

道場の松生幸一さんは、幼い戸上隼輔さんの才能をこう評しています。

「大人では考えられない角度で球を打てる。そういう才能が飛び抜けていた」という証言です。

頭の上から、下がった体勢からでも自在に打てるセンスは、幼少期からずば抜けていたようですね。

指導者の目から見ても、戸上隼輔さんの球の扱いには特別なものがあったことがうかがえます。

多球練習で鍛えた反射神経

松生道場では、実戦的な練習メニューが取り入れられていました。

複数の球を次々と打ち返す「多球練習」で反射神経を養い、卓球台を2台くっつけてフットワークを鍛えたそうです。

このとき培ったスピードと機動力は、現在のプレースタイルにもしっかり生きています。

幼少期の練習環境が、世界で戦う選手の土台をつくったのだと実感しますよね。

地元を離れる決断と環境の変化

地元で順調に力をつけた戸上隼輔さんですが、中学時代に大きな決断をします。

中学1年の全国中学校体育大会で序盤敗退を喫し、「もっとレベルの高いところでやりたい」という向上心が芽生えたのです。

そこで中学2年の秋、山口県の名門・野田学園中学校へ転校し、親元を離れて寮生活を始めました。

まだ幼い中学生が家族と離れて自ら厳しい環境に飛び込むというのは、相当な覚悟だったはずです。

この決断の背景には、地元で全国大会の常連にまで育ててくれた松生道場での土台がありました。

基礎が固まっていたからこそ、より高いレベルへと挑戦できたわけですね。

環境を変える勇気と、それを支えた家族の理解が、世界へ羽ばたく第一歩になったのだと感じます。

ちなみに転校のきっかけには、小学校時代からのライバルが先に野田学園へ進んでいたことも影響したそうです。

身近な好敵手の存在が、戸上隼輔さんの闘志にさらに火をつけたのかもしれませんね。

兄の影響で世界へ|戸上隼輔の実績

ここでは、兄の影響で卓球を始めた戸上隼輔さんが、どこまで登りつめたのかを整理します。

結論から言うと、戸上隼輔さんは2025年の世界卓球で64年ぶりの男子ダブルス金メダルを獲得した、日本のエース格です。

兄たちが灯した卓球の火が、ここまで大きな花を咲かせたわけですね。

野田学園から明治大学へのエリート街道

戸上隼輔さんは中学2年で山口県の名門・野田学園中学校へ転校し、寮生活を始めました。

そのまま野田学園高校へ進み、2018年にはインターハイ男子シングルスで優勝を果たします。

高校卒業後は大学卓球界の名門・明治大学へ進学し、さらに実力を伸ばしていきました。

地元を離れて厳しい環境に身を置く決断が、選手としての大きな飛躍につながったんですね。

全日本・世界卓球での主な実績

戸上隼輔さんはその後、国内外で数々のタイトルを獲得しています。

下記の表は、戸上隼輔さんの主な実績を時系列でまとめたものです。

主な実績
2018年 インターハイ男子シングルス優勝
2022年 全日本卓球選手権男子シングルス初優勝
2023年 全日本卓球選手権男子シングルス優勝(2連覇)
2024年 パリ2024オリンピック出場
2025年 世界卓球 男子ダブルス金メダル

全日本連覇に世界卓球の金メダルと、まさに日本卓球界を牽引する存在になっています。

ブンデスリーガでの挑戦と今後

戸上隼輔さんは国内の実績にとどまらず、海外にも活躍の場を広げています。

現在はドイツのブンデスリーガ1部・オクセンハウゼンに所属し、世界のトップ選手と切磋琢磨しています。

2025年には篠塚大登さんと組んだ世界卓球ダブルスで、日本男子64年ぶりの金メダルを獲得しました。

次の目標はロサンゼルス2028オリンピックでの金メダルで、今後もますます目が離せない選手ですね。

早田ひなとの混合ダブルスペア

戸上隼輔さんの活躍を語るうえで欠かせないのが、混合ダブルスでの実績です。

2021年のアジア卓球選手権では、早田ひなさんと組んだ混合ダブルスで優勝を果たしました。

2人はピンクのユニフォームでそろえ、「ピンキーズ」という愛称で親しまれたんですよ。

息の合ったプレーと爽やかな雰囲気から、一時は交際しているのではという噂も飛び交いました。

ただ、これはあくまでファンの願望から生まれた噂で、交際を示す確かな情報はありません。

兄の影響で卓球を始めた少年が、こうしてトップ選手と肩を並べてタイトルを獲るまでに成長した。

その歩みを追うと、あらためて戸上隼輔さんの努力の積み重ねに頭が下がりますよね。

兄たちの現在は非公表?噂を整理

最後に、戸上隼輔さんの兄たちの現在や、家族にまつわる噂を整理します。

結論から言うと、2人の兄の現在の詳しい活動は公表されていませんが、卓球一家で育った絆は変わらず続いていると考えられます。

ここでは、ネット上で語られている情報を事実ベースで確認していきますね。

兄たちの現在の職業について

2人の兄は卓球選手の道には進まず、それぞれ一般社会で歩んでいるようです。

長男・翔一さんは津工業高校から一般企業へ、次男・雄貴さんは熊本大学工学部を経てシステムエンジニアになったと伝えられています。

ただし、お二人とも一般の方ということもあり、現在の詳しい状況は公表されていません。

それでも、弟の世界での活躍を誰よりも喜んでいるのは間違いないでしょうね。

噂と事実の整理

戸上隼輔さんの家族に関しては、さまざまな情報がネット上に出回っています。

下記の表で、よくある噂とわかっている事実を整理してみます。

噂・疑問 わかっている事実
兄弟は何人? 兄が2人いる3兄弟の末っ子
兄も卓球選手? 経験者だが競技の道には進んでいない
両親も卓球経験者? 父はインターハイ優勝者、母も元選手
兄の現在の職業は? 一般の方のため非公表

こうして整理すると、確かな情報とあいまいな情報の区別がつきやすくなりますよね。

家族全員で支える戸上隼輔

戸上隼輔さんの母・恵子さんは、仕事を休める日はできるだけ試合を見に行っているそうです。

「少しでも隼輔を見ていたい」という母の言葉からは、家族の深い愛情が伝わってきますよね。

中学2年の夏に親元を離れてから、離れて暮らす時間の方が長くなった戸上家。

それでも、兄弟や両親がそれぞれの場所から末っ子を見守り続ける姿は、本当に素敵な家族の形だと感じます。

プロレス好きは家族ゆずりだった

戸上隼輔さんの意外な一面として知られているのが、大のプロレス好きだということです。

実はこの趣味も、母・恵子さんがプロレス好きだった影響を受けたものだと言われています。

戸上隼輔さんは新日本プロレスの内藤哲也さんや棚橋弘至さんのファンで、試合観戦を楽しみにしているそうです。

2023年の全日本卓球選手権で優勝した際には、アントニオ猪木さんの名フレーズ「元気ですかー!」を叫んで拳を突き上げたことも話題になりました。

卓球だけでなく趣味の面でも家族の影響が色濃く出ているのは、なんとも微笑ましいですよね。

兄弟や両親と過ごした時間が、戸上隼輔さんという人間そのものを形づくっているのだと感じます。

戸上隼輔の兄弟エピソードの総まとめ

  • 戸上隼輔は3兄弟の末っ子で兄が2人いる
  • 家族構成は父・母・兄2人・本人の5人家族
  • 長男・翔一は隼輔の12歳年上の兄
  • 次男・雄貴は隼輔の9歳年上の兄
  • 卓球一家の始まりは長男の「友達づくり」
  • 戸上隼輔が卓球を始めたのは兄の影響
  • 本格的な決意は次男が勝ち進む姿がきっかけ
  • 長男は津工業高校から一般企業へ進んだ
  • 次男は熊本大学工学部を経てエンジニアに
  • 父・義春はインターハイダブルス優勝者
  • 父の出身は熊本県南関町で地元も応援
  • 母・恵子は元実業団選手の熱血指導者
  • 兄弟は地元の松生卓球道場で腕を磨いた
  • 末っ子は2025年世界卓球で金メダルを獲得
  • 兄たちの現在は非公表だが絆は健在

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